TILT

てぃると。心の底から書きたいことを書く。

ぼくが他人の「『私はこう思う』系ブログ」を読むことを止めた理由。【愚痴/読まなくていい】

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ちょっと胸に手を当てて考えてほしい。

 

他人のブログを読んでいると正直ゲンナリすることない?

 

ぼくはある。

 

例えば、数か月とか数年にわたる葛藤のすえに、自分が自信をもって決断したことがあるとする。

 

「ぼくは○○で生きていく!」

 

みたいなね。

 

そして、その決意にしたがって、自分の決めた方針にしたがって行動したとする。

 

それでね、行動している最中に調べものかなんかして、「たまたま」どこかのだれかが書いたブログを見るわけですよ。

 

すると、そこに

 

「○○という選択をとる人がいますけど、正直言って信じられませんね。そんな選択肢を取る人がこの社会で生きていけるわけないじゃないですか。視野が狭すぎる。」

 

「まだそんな時代遅れのやり方しているんですか? そういうやり方はさっさと止めて下さい。絶対にうまくいきませんから。」

 

みたいなことが書いてあるわけ。

 

いわゆる「正論」ってやつね。

 

で、そういうのを読むと、自分の決意が瞬間的に萎えてしまう(もちろんその後持ち直すけど)。

 

「転職とかフリーランスを進める記事」「なにかの方法論を述べた記事」に特に多いのがこのタイプ。

 

「新卒ですぐにフリーランス? 起業? バカじゃないですか? 社会のルールも何も知らない人に起業なんてできるわけないじゃないですか。だいたい、何の目的があってそんなことするんですか。目的がなければ、やっても無駄ですよ。ファッション起業なんてバカの極みです。」

 

とか

 

「まだ正社員でこき使われているんですか? さっさと止めて下さい。どうして早くフリーになって働かないんですか? フリーになれば休みたいときに休めるし、会社員と同じ労働時間で年収は数倍になりますよ? ぼくも会社員をやっていたことがありますが、正直無駄でした。起業するなら若い方がいいんですよ。」

 

とか。

 

ぼくの経験上、転職系サイトとか就活について書いた記事は、要約すればたいてい上の2つのどちらかしか書いてない。読む意味ないぞ。

 

やってることはアホをコントロールする煽動家と同じ。

 

 

 

正論では人は救われない

 

本題。

 

こういう「わたしの意見を書いてみた」「(頼まれてもいない)アドバイスをする」系の記事を読むと

 

だーーーーー、うるせえ! おまえ何様だよ? ブログでまでえらそうに説教垂れんな。カス! ハゲ! ボケ!

 

とぼくは思ってしまう。

 

イライラしてしまう。

 

どうしてイライラするかというと、それが正しいから

 

根拠は明白で、論理も正しい。

 

主張としてはまっとうで、心に突き刺さる。耳が痛い。

 

でもなんか足りないのよ。こういう文章って。

 

 

どんな選択をした人でも

 

こういう記事に欠けているもの。

 

それはずばり、思いやり

 

なに小学校の道徳の授業みたいなこと言ってんの? 

 

と言うかもしれない。

 

でもさ、小学生が学ぶようなことすらできてないやつが多すぎるんだ。

 

ぼくが言いたいのはこういうこと。

 

どんな立場のどんな人でも、いまその人がいる場所に立つまでに無数の選択と無数の決断があったわけですよ。

 

例えば、先ほどの転職の話。

 

フリーランスになった人は、大いに考えた上で、あるいはのっぴきならない事情があったから、その選択をした。

 

反対に、いま正社員についていて、会社の命令にしたがって歯を食いしばって働いている人も、同じように熟慮のすえにそこに立っている。

 

フリーでやっている人は会社ではできないことがあるから、そちらの道を選んだかもしれない。人間関係のあり方を変えるため、あるいは自分の最高の生かし方を考えるためそちらの道を選んだかもしれない。心身に病気があったから仕方がなかったのかもしれない。

 

正社員で働いている人には、守らなければいけない家族の存在があるからかもしれない。本当は転職したいのに会社から慰留されていて、自分がいなければ、会社が回らないからかもしれない。正社員で仲間にかこまれて働くのが好きで好きでたまらないからそうしているのかもしれない。

 

ひとりひとりに特別な事情がある。

 

そういうのもわからずにただ自分の主張だけ言い切るから、イラっとくる。

 

 

嫌なら見るな

 

まあ「嫌なら見るな」は正しいよね。

 

だからタイトルに「愚痴」ってつけた。

 

ぼくが言っているのはしょせん戯言。

 

基本的にはぼくも「嫌なら見るな」に徹している。

 

でもさ、いつも「嫌なら見るな」がうまくいくわけじゃない。

 

ネットの情報というのは、フタを開けてみるまでわからない。

 

「自分の欲しい情報が書いているだろう」と思って記事を読んでみると、自分の意図していなかった情報が書いてあることがある。

 

だから完全には防げない。

 

 

意見を聞かないということ

 

いまの時代って、情報過多と言われるし、そこら中に「意見」とか「真実」があふれている。

 

だからじゃないけど、他人の意見に耳を貸さないということも大事になってくると思う。

 

これって常識とは真逆だ。

 

普通は「人の話をよく聞きなさい」と言われる。

 

それが円滑なコミュニケーションの手段だからだ。

 

ぼくも営業の仕事をしていたときに、上司に言われた。

 

人の話をさえぎらずにもっとよく聴け、と。

 

もっともだ。

 

だけど、それはあくまでも仕事とか人間関係においての話であって、自分の人生を決定していくときに役立つことではない。

 

自分の人生を決定していく上で、他人の意見はまるで役に立たない。

 

いや、ある程度までは役に立つのかもしれないけど、聞きすぎると弊害しかない。

 

優柔不断で付和雷同な態度しかとれなくなってしまう。

 

あるいは、そこまでいかなくとも、自分の意欲を減退させるような言葉にふれるのは、なにかを成し遂げようとしているときには、好ましいことではない。

 

 

なんでもいいからフォームを決めて、それを崩さない

 

これは野球経験者から聞いた話なのだが、野球の練習をしているとコーチから毎日、フォームに関していろいろなことを言われるらしい。

 

ある日は「もっと低めに投げてみろ」と言われ、またある日は「もう少し高めに投げてみろ」と言われる。

 

ようするにコーチの気分によって、フォームをあれこれ変えさせられるらしい。

 

でもこういうことをしていると、自分のフォームがまるで固まらない。

 

自分のスタイルがいつになっても確立しない。

 

プロに行くような人でもこういう指導をされることが多いらしく、そのため芽が出ずに引退してしまう人もいるらしい。

 

この例でぼくが言いたいことは、人の話を素直に聞き過ぎているからフォームが固まらないということだ。

 

これは人生に置き換えても同じ。

 

自分の生き方を確立したかったら、あまり人の話を聞かない方がいいのだ。

 

 

まとめ

 

ちょっと話が脱線してしまったが、ぼくが他人の批評型ブログを読むのを止めた理由は結局ふたつ。

 

①一方的な主張ばかりで、想像力が欠けているブログがあるから

②余計な情報を入れず、自分のスタイルを確立するため

 

自分からイライラすることはない。「嫌なら見るな」をより徹底していこう。

 

 

終わりに

 

 

このブログもぼくが批判する『私はこう思う』系のブログであることは確かだ。

 

だから、ぼくにも想像力が欠けていて、誰かを意図せずに傷つけてしまっているかもしれない。

 

だから先に謝っておく。ごめん。